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2012年11月1日発行第88号”幸福の値段・不幸の値段(1)”

平成24年11月 1日(木):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成24年11月1日発行第88号「幸福の値段・不幸の値段(1)」をお届けします。

○「世の中の沙汰は、結局、最後は金で解決するしかありません。」と我々弁護士は、相談に来たお客様に言います。すると、お客様は、「いえ、お金の問題ではないんです。お金なんかどうでもいいんです。兎に角、心の底から謝って貰えばそれで良いんです。お金じゃなくて気持の問題なんです。」とお答えになることがよくあります。

○しかし、人間の「気持」を圧力即ち「法律」という最終的には国家権力による強制で動かすことは出来ません。確かに、裁判で、「謝罪文を書け」と外形の行為を命じることが出来ますが、「心の底から謝罪の気持を持て」と言うことは裁判では不可能です。ですから、弁護士に相手に「心の底から謝罪の気持を持つ」様に交渉して欲しいなんて言われても、到底、無理なのですが、意外に、このような相談に来る方が多くおられます。

○弁護士稼業での「最終的なお金の解決」は、殆どの場合、誰かに損害を与えられ不快な気持にさせられたときのいわば「不幸」をお金に換算して請求する作業です。ですから弁護士は「不幸」についての金額算定作業は日常的に行っていますが、世の中には「幸福」の金額算定作業を研究されている方も居るとのことで、「幸福の計算式」と本になっているそうです。幸福に金額をつけても余り意味はなく、おそらく、その作業を通じて人間とはなんぞやという人間学になっているのでしょう。人間学という意味で、購入して読んでみようかという気になりました。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

幸福の値段・不幸の値段(1)

世の中には、思いもよらないものを研究している人がいるんですね。少し前に「幸福の計算式」という本を読みました。研究対象は「幸福」なんです。例えば、収入が幸福に及ぼす影響について研究結果があります。いろいろと面白い話が載っています。

収入が高くなれば幸福の度合いが増えるかと言いますと、必ずしもそうではないんですね。自分が1000万円の年収があっても、自分の周りの人がみんな2000万円だと、幸福にはなれないそうです。一方、自分の収入が500万円でも、周りの人達が300万円なら、幸福に感じるわけです。

失業した場合は、多くの人が大変不幸を感じますね。しかし、ある地域の失業率が上昇して、4人に1人は失業するようになると、失業してもそれほど不幸を感じなくなるそうです。自分のことを考えても、きっとそうなんだろうなと思えてきます。

とまあ、いろいろと面白いことが書いてある本なのですが、極めつけは、あらゆる幸福や不幸には、値段を付けることができるという主張です。まさに、お金に換算できないものはないということです。「そんなバカな!」という気もしますが、やり方を聞いてみると、案外正しいのではという気もしてきます。まず、沢山の人達に、自分の現在の幸福度を、例えば10段階評価で、長期間にわたって示してもらうわけです。例えば、今日は幸福度7、昨日は幸福度6といった具合ですね。

一方、毎日の生活の中には、様々な事象が発生します。給料が増えたとか、大怪我をしたといったことです。こういったあらゆる事象の発生によって、各人の幸福度は変化していきますよね。沢山の人からこういう情報を貰えば、どのような事象が生じたら、どの程度幸福度が変化するのか、数値化出来るわけです。たとえば、配偶者を亡くした場合には、幸福度は5下がるといった具合です。

次に、その人たちがお金を貰ったときに、幸福度がどのように変化するのかも見て行きます。たとえば、思いもかけずに1000万円手に入った場合、幸福度は3上昇するといった具合です。あらゆる事象の発生で、幸福度は上下します。それらの変化について、お金をいくら貰ったときの幸福度の変化と等しいのか比べることは可能ですよね。例えば、子供が生まれたことで幸福度が4上がるとします。一方、2000万円貰った時にも、同じく幸福度が4上がるとします。そうしますと、「子供の誕生」の値段は、2000万円となるわけです。

この本には、その様にして計測した幸福や不幸の価格が載っています。例えば、結婚初年度の幸福の値段は、約2500万円だそうです。配偶者が死亡した場合の不幸の値段は、3800万円に相当するそうです。私としても、こういう「計算式」に対しては、感情的に反発を覚えるところはあります。そもそも、そんなことに、「値段」をつける意味があるのか、という気もしますよね。

ところが日本でも、怪我や死亡、名誉棄損や離婚など、お金に計算できないはずの多くの不幸な出来事に対して、現実に値段が付けられているのです。誰が付けているのかといえば、裁判所です。裁判が提起されたら、裁判所としては損害額について、何らかの判断をせざるを得ないのですから、当然ではあります。

日本の裁判所による「不幸」の値段設定は適切と言えるのか、次回、もう少し検討してみたいと思います。

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◇ 弁護士より一言

周りの人と同じだと、特に不幸を感じなくなるのは、失業問題だけではないそうです。肥満についても言えるんですね。配偶者の一方が太ると、もう一方も安心して?太りだすそうです。
我が家では、私は太っていますが、妻は頑張って太らずにいます。妻が安心して太り始める前に、私の方の肥満を何とかしないといけないと感じているのです。
引き続きコメントを楽しみにしております。
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