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2016年09月01日発行第180号”弁護において美とはなにか”

平成28年 9月 1日(木):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成28年9月1日発行第180号「弁護において美とはなにか」をお届けします。

○弁護における美とは、美と評価される民事・刑事等の弁護士業務とはどのようなものかと言う意味と思われますが、私なんぞ、考えてこともないテーマです(^^;)。弁護士業務について優れているか、劣っているかと言う総合評価は可能でしょうが、それが美しいか美しくないかなんて、おそらく吉本隆明大先生の「言語において美とは何か」同様訳のわからない難解な問題でしょう。

○田中角栄氏と舛添前都知事との比較がなされていますが、私が、最後に舛添氏にガッカリしたのは、辞めて都庁を出るときのふて腐れたような大人げない態度でした。まるで駄々っ子が駄々をこねたまま出て行くようで、これが都知事まで上り詰めた人か、所詮、この程度の人だからこうなったのだろうと実感しました。

○舛添氏のやっているようなセコいことは、政治家なら誰しも大なり小なりやっており、たまたま舛添氏は、それが重なり続け、量において多かったことをしつこく追求されました。また、それに対する対処として第三者と称する調査結果発表など却って墓穴を掘ってしまい、「つまらぬ小細工は却って事態を悪化させる」ことを実証して見せました。この「つまらぬ小細工は却って事態を悪化させます」は、紛争の最中に居るお客様に対し、しばしば、アドバイス申し上げることです。

○弁護士業務でのお客様のための頑張りは、絶対に必要なことですが、どこまで頑張るかは、紛争の相手方の状況もシッカリと把握する必要があります。頑張りすぎてその場では成果を得ても長い目ででは、却ってお客様の利益にならないことありホントに難しいところです。たとえば相手が保険会社で少しでも高い損害賠償金を取るため頑張るのは問題ありませんが、相手が身内の場合など将来も無関係に過ごせない場合など判断が難しい面があり、正に弁護士業務が優れたものかどうかが問われます。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

弁護において美とはなにか


「言語において美とはなにか」は、全共闘世代のカリスマ、吉本隆明大先生の御本ですね。「言語」の「美」について、理論と具体例を通して、検討しているそうですが、読み終わっても、なんのこったかさっぱり分かりませんでした。しかし、「言語」における「美」は分からなくても「弁護」における「美」なら、私にも分かるんです。(だ、ダジャレかよ!)

弁護士に限らず、人の行為には、美しいものも、醜いものもあります。「良い」行為が「美」であるのは当然です。しかし、たとえ「悪」であっても「美」と感じる行為があるのも事実だと思うのです。

例えば、田中角栄は、私の大好きな政治家です。本当に偉大な人だと思っています。しかし、田中角栄を批判する人たちが指摘することも、おそらく真実だと思うんですね。国の開発予定地を、関連会社を通じて予め購入して莫大な利益を得たというのも、ロッキード社から、5億円のワイロを受けていたのも、おそらくその通りだと思います。これらの行為は、間違いなく「悪」です。それでも、社会の役に立つ良いことも沢山しており、非常に魅力的な政治家です。私の感覚では、「悪」も含めて、疑いなく「美」の人です!

それに対して、既に散々叩かれている人の事をあまり言いたくないんですが、前東京都知事の舛添さんの場合は、「悪」というより「セコイ」んですね。「クレヨンしんちゃん」の購入代金や、家族で「ホテル三日月」に泊まった代金を、政治資金として出させるなんて、あまりにセコ過ぎます。舛添さんは、私が大学生のときに、フランス留学から鳴り物入りで帰ってきました。当時から、本当に優秀な人だと有名でしたし、今でも非常に優れた人だと思います。そんな凄い人でも、「セコイ」というだけで、すべてぶち壊しです。「悪」は、場合によって、「美」になりますが、「セコサ」は絶対に「美」にはならないと思い至ったのです。

弁護士の場合も、全く同じことが言えます。反社会的勢力から、何千万円も貰って悪事に加担した、「悪い」弁護士など相当数います。そういう弁護士は、確かに問題ですが、詳しい話を聞くとある意味「凄い人だなあ!」と感動することもあるのです。(おいおい!)

その一方、セコイ弁護士もいます。税金をごまかすために、お客さんにあれこれ言って領収書を出さない弁護士なんているんですね。国選の刑事事件の場合、逮捕・勾留されている被疑者に会いに行く毎にお金が貰えます。だから用がなくても、とりあえず会いに行く一方、会いに行ってもお金が貰えなくなると、どんなに必要があっても会いに行かない弁護士が相当数いるのです。もっとひどいのは、会いに行った回数をごまかして、1回ごとに1万円程度の小遣い稼ぎをしていた弁護士です。これはさすがに、刑事事件にまでなりました。せ、セコ過ぎるだろう!

ただ、「セコイ」弁護士でも、「美」と言える場合もあるのです。かなり前の事ですが、相手の弁護士が和解の席で、相当細かいことまでゴネてきました。当方としては、早く終わらせるために、細かいところは受け入れて、和解がほぼ成立したんですね。ところが、最後の最後になって、相手方弁護士は、ほんの少しのところですが、さらに譲歩を要求してきたのです。

「どれだけセコク、交渉するんだよ!」と呆れる一方、「依頼者の利益のためにここまでやるのか!」と感動したのでした。「セコイ」弁護士は「美」ではない。しかし、たとえセコクとも、お客様のために活動する弁護士は「美」となるのだと、思い知ったのです!

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◇ 弁護士より一言

テレビに出る弁護士は沢山います。行列のできる法律相談所なんか有名ですね。たまに私も見るんですが、皆本当に弁が立つ。私なら、あんな気の利いたコメント、絶対に言えない。といったことを、先日家族に話したんです。すると、中学3年生の娘が、慰めてくれました。「私は、ああいう弁護士には頼みたくないわ。弁護士として、格を落としている!」
テレビに出ることは、必ずしも弁護士にとって美ではないようです。(ま、負け惜しみだろう!)
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