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2016年12月01日発行第186号”弁護士の真田太平記”

平成28年12月 1日(木):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成28年12月1日発行第186号「弁護士の真田太平記」をお届けします。

○平成28年も12月に入りました。石垣島・西表島・沖縄本島巡り平成28年事務所旅行も平成28年11月30日、無事、終了して仙台に帰ってきました。事務所旅行報告は、後日にして大山滋郎先生のニュースレターをお届けします。

○戦いの最高の極意は「戦わずして勝つ」ことと聞いていますが、これが大変難しい。大山先生は、それほど難しくないんです!と仰いますが、「戦わない」、「勝ち馬に乗る!」の2つも、大変,難しいと感じています。その判断には、的確な将来見通しが必要だからです。特に関ヶ原では、東西両軍いずれが勝つかの判断は相当難しかったと思われます。


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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

弁護士の真田太平記



NHKの大河ドラマで、今年は「真田丸」をやっています。三谷幸喜の脚本で、これはこれで面白いと思います。しかし、私の年代の人にとって「真田」と言いますと、池波正太郎先生の「真田太平記」なんです!

真田太平記の背景は、戦国時代から徳川家康による天下統一の時代です。弱小城主のもとに生まれた、ふたりの兄弟の話です。兄の信幸は、頭も良く、武芸にも秀でた人で、形勢判断もしっかりとできます。秀吉亡き後は、徳川の天下だとしっかりと読み切り、家康に忠義を尽くします。二代将軍秀忠にいじめられたりしても、決して逆らったりしないで、最後まで家を守り切り、93歳という長寿を全うするのです。

それに対して、次男の真田幸村は、「内臓をまき散らしながら馬で走り抜ける」といった夢を見る、ぶっ飛んだ男です。有り余る才能を持て余し、命を燃焼させるようなことを求めていきます。関が原や、大坂冬の陣、夏の陣で、徳川が勝つと分かっていても、豊臣のためにひと暴れしないと気が済まないのです。世の中には、「勝つ」ことより大切なことがあると信じているんでしょう。まさに正反対の兄弟です。

ところで、私も50歳をいくつも越えて、最近ようやく、「勝つ」ためにはどうすればよいのか分かってきました。それほど難しくないんです!2つのことをしっかり守ればいいのです。まずは、戦わないこと。そして、勝ち馬に乗る!ことです。

「戦略的勝利」なんて言われるものは、この2つを守っているのだと確信しています。まさに、兄の真田信幸が実践したのがこの戦略的な勝利です。下手に戦ったりしないで、勝ち馬である徳川にしっかりと従うということです。もっとも真田太平記には、そんな長男・信幸に対して、父親(謀将・真田昌幸です!)が、「あいつは面白くない!」とばっさり切って捨てる場面がありました。思わず笑ってしまいます。「戦略的に勝つ」というのは、それほど面白いことじゃないんですね。

弁護士をしていると、お客様にも信幸タイプの方と、幸村タイプの方がいるなと感じています。市民として生活をしたり、企業の経営をしていると、「国や大企業の仕打ちがおかしい!」と感じることはよくあります。そういうときでも、世渡り上手な信幸みたいな人は、決して戦おうなんてしません。「ご無理ごもっとも」ということで、強い方についていくことで、結果的にはうまくいっている感じがします。

これに対して、負けると分かっていても、華々しく一戦交えないと気が済まないような人も、一定数います。まさに、幸村タイプの人です。「今の法律や判例はこうですから、裁判になったら絶対に負けますよ。」なんて、私も必死で説得するんですが、「それでもやる!」と一歩も退かないのです。「負けてもいいから、灰になるまで戦う!」なんてお客様に言われたことは、一生忘れられません。考えてみますと、真田幸村に、「大坂夏の陣は絶対に負けますよ。」なんて説得しても、無駄です。そんなの100も承知なんです!

しかし、そういう無茶な戦いをするお客様は、魅力的な人が多い気がします。私は弁護士として、信幸のように、「勝馬に乗る」ことをお客さんには勧めています。その方が絶対に得だと信じています。それでも、「負けてもいいから断固戦う!」という、幸村のようなお客さんが来たときには、真田十勇士になったつもりで、サポートしたいと思うのでした!

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◇ 弁護士より一言

先日、中村橋之助の「芝翫」襲名公演に行ってきました。そこでの演目の一つが、真田幸村だったのです。幸村の影武者の首実検を、家康の御前でするときに、幸村の息子が切腹するところが見せ場です。

「本物の父が死んだからこそ、その後を追って息子も死んだのだ」と、家康を騙すために、命を捨てたわけです。でもその子供は、小学5年生の私の息子よりも小さいのです。昔の考えを今の価値基準で裁くことはできませんが、生意気を言ってもうちの子は、元気で長生きして欲しいと、親として思ったのでした。
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