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難聴に至るまで-司法試験受験時代前半

平成17年 4月 9日(土):初稿 平成17年 5月15日(日):更新
○高校時代まで右耳化膿性中耳炎、左耳滲出性中耳炎で耳鼻科通いが年中行事でした。それでもこの時期までの聴力は右耳が鼓膜の3分2が穿孔(穴)のため40db程度の軽度難聴でしたが、左耳は普通の状態では殆ど健聴レベルでした。そのため言葉と発音は普通の人並みに学習出来ました。幼児時代から中度難聴だと言葉と発音学習に支障があります。

○高校卒業後1浪して昭和46年4月に東北大学法学部に入学しましたが、予備校時代の1年間も含めた5年間、気仙沼から仙台に環境が変わったせいか、不思議なことに中耳炎は全く起こりませんでした。
但し、予備校入学で仙台に移った昭和45年4月、それまで経験したことのないひどい喘息を発症し、随分苦しみました。

○右耳は穿孔のせいか、耳垢(耳あか)が溜まりやすいため1年に1回毎年3月頃に気仙沼のB耳鼻科に行って耳垢掃除をして貰っていました。大学3年秋から司法試験の本格的受験勉強に入っていた私は、大学4年終了時の昭和50年3月初め、時間が惜しいため大変混み合って長い時間待たされる気仙沼B耳鼻科ではなく、殆ど混んでいないご老体のC耳鼻科を初めて訪れ耳垢掃除をして貰いました。

○C医師は当時70歳過ぎのご老体で耳垢掃除の仕方が乱暴で掃除中大変な痛みを感じ、嫌な予感がしました。案の定、掃除後も痛みが続き、翌日から耳だれが出始めました。高校時代以来、6、7年ぶりの右耳化膿性中耳炎の再発です。しかもそれまで経験したことのない、まるで耳の中に蝉が入ってジーンジーンと鳴いているような大きな耳鳴りを伴っていました。

○5月に迫った司法試験択一試験受験勉強に励んでいた時期、経験したことのない大きな耳鳴りを伴った中耳炎再発に大いに焦り、原因を作ったC医師を怨みながら、B耳鼻科に通いました。B耳鼻科は大変混み合っており毎日2,3時間待たされます。その時間の惜しいこと、惜しいこと。

○毎日B耳鼻科に通い1ヶ月ほどで耳だれは出なくなりましたが、耳鳴りが止まりません。耳鳴りとは不思議なもので、嫌だ、嫌だと思うほど大きくなり、周囲が静まりかえる夜になるといよいよ大きくなり眠れなくなります。
以降、永い間、この耳鳴りに悩まされる時代が続きます。

以上:910文字

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