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難聴に至るまで-司法試験受験時代

平成17年 4月10日(日):初稿 平成17年 5月15日(日):更新
○昭和50年3月、大学4年次終了時に7,8年ぶりに大量の耳だれと共に大きな耳鳴りを伴って右耳化膿性中耳炎が再発し、およそ1ヶ月の治療で耳だれは治まるも、耳鳴りが止まらなくなり、大いに焦りました。

○気仙沼市のB耳鼻科で耳の治療をするため大学に籍を置いたまま、仙台を引き払い郷里気仙沼に戻り毎日図書館に通って司法試験受験勉強を続けましたが、昭和50年5月の択一試験は不合格と判ったとき、悔しさの余り大声を上げて泣きました。2度目の受験でしたが、不合格が悔しくて泣いたのは後にも先にもこの時だけでした。正に盲蛇だったからです。

○耳だれが治まっても耳鳴りが続き、これを抑える薬を貰うためB耳鼻科に定期的に通いましたが、耳鳴りはいっこうに治まりません。一時小さくなってきたかと思っても体調や天候によって又大きくなります。

○そのため仙台の有名な耳鼻科3件程廻って診察を受け投薬を受けましたが耳鳴りは変わりません。当時は今のネット時代と違って詳しい医療情報を得る機会もなく、耳鳴りが鳴り続ける以上は、右耳の状態は不安定で、何時耳だれが再発するかと不安を抱えながら受験生活を続けました。

○その年の8月気仙沼出身で弁護士になったばかりのOさんにお会いし、11月にその年合格したUさんをご紹介され、通信による論文指導を受け、それまでの受験勉強の甘さを厳しく指摘され、正にゼロから出直し、ようやく合格に繋がる真の受験勉強を始める事が出来ました。

○翌昭和51年5月の択一試験も不合格でしたが、Uさんのご指導により少しずつですが自分の実力を客観的に評価できるようになっていました。お陰で不合格を冷静に受け止め、悔しくて泣くこともありませんでしたが、問題は昭和51年3月にも化膿性中耳炎が悪化し、大量の耳だれが出てB耳鼻科に1ヶ月も通わなければならなくなったことでした。耳鳴りも相変わらずでした。

○1ヶ月ほどの治療で耳だれが治まった後、B医師に穿孔が開いたままの右耳について、手術による根治の可能性、耳鳴りを止められるかどうか、詳しく聞きました。
色々問い質した私が面倒になったB医師の最後の言葉に茫然自失となりました。
そんな、ボッコレ耳、どうにもならん

○それまで信頼して10数年治療を受けていたB耳鼻科医師の
   「そんな、ボッコレ耳
と言う言葉は今でも耳にこびりついております。
受けた恩義は忘れても、受けた怨みはシッカリと心に刻み込まれます(^^;)

以上:1,006文字

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