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新聞配達の思い出-早朝勉強の重要性認識2

平成22年 3月21日(日):初稿
○昭和42年4月気仙沼高校に入学し、硬式テニス部に入部したものの、練習時間が長く、毎日の夜自宅に帰る時刻が午後9時近くになり、早朝は新聞配達のアルバイトをしており、午後6時までには新聞店に行かなければならず、いつ勉強時間を取るかが問題になりました。夜は午後9時近くに夕食を取り風呂に入ると疲れが出てとても勉強する気になりません。

○そこで私は、午前3~4時には起床し、新聞配達に向かう2~3時間を勉強時間に充てることにしました。中学時代に定期考査日は、毎朝午前3時に起きてその日の試験科目を懸命に総復習して試験に臨む訓練をしており、早起きでの勉強は余り苦にならなかったからです。高校1年次は,平均して午前3時30分には起床して、新聞配達に向かうまでの時間勉強に勤しみました。

○新聞配達は土日祝祭日、全く無関係で休みにはならず、当時も確か新聞休刊日は年に3回位しかなかったと思います。新聞配達も硬式テニス部活動も休みにならない土日祝祭日も午前3時30分起きで勉強に勤しんだかどうかはちと記憶が曖昧です。高校の定期試験や実力試験の近くでない時期位は、午前3時30起きではなかったかも知れません。それでも午前6時前には起きて新聞店に向かわなければなりません。

○この新聞配達の効用は,兎に角、土日祝祭日でも休みなく継続しなければならない毎日の「継続性」にあり、また、何より午前3時30分起きでの早朝勉強の継続にありました。私は朝型で夜遅くまで起きているのが苦手でしたから、早朝の方がズッと気力が充実し、勉強に集中できたように思います。2~3時間という短時間しか取れず、この時間内に必要な事項を勉強しなければならないとの状況が,更に集中力をつけてくれたように思います。

○私は、小さいときから出来が悪く、母親にそのことをシッカリと叩き込まれ、自分は普通の人より頭脳も体力も劣るので、何をするにも人並みにやっていたのでは、普通の人並みにはなれない、普通の人並みになるには普通の人の何倍も努力しなければならないとの思いだけは,当時も今も変わらず、持っています。気障な表現で照れくさい面はありますが、小さいときから母に、「亀一は出来が悪い,出来が悪い」とけなされ続けたことは、当時は悔しくて仕方が無かったのですが、今思えば、「何事も人一倍の努力」の観念を植え付けてくれたことに感謝しています。

○高校1年次の1年間、ほぼ毎日午前3時30分に起きて新聞店に向かうまでの2,3時間を必死に勉強に充てた経験は、私のその後の人生を方向付けたと言えるほどの貴重な経験でした。要領の悪い私は、その後も、大学受験に一度失敗し,更に司法試験受験も何度も失敗し、更に一度結婚にも失敗し,その他様々な失敗、失敗の経験の連続の人生ではありますが、出来の悪い私が何とか失敗を繰り返しながらも、何とか人並みに歩み続けることが出来るのは、この高校1年次新聞配達前の早朝、必死で勉強した経験のお陰と思っております。

○現在、毎日、4~5時起きで早朝更新情報を書き続けることが出来るのも,原点は高校1年次のこの経験にあり、死ぬまで失敗を繰り返しながら自分なりの勉強を継続していこうと思っているところです。
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