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感激”障害ある僕を産んでよかったと思ってもらいたかった…弁護士田門さんの物語”

平成26年 1月13日(月):初稿
○ボ二ネタ経由で知った産経新聞配信記事「障害ある僕を産んでよかったと思ってもらいたかった…弁護士・田門さんの物語」に感激し、我が身を恥じ入りました。それは、「私にとって、聞こえないのは当たり前のこと。聞こえないことを苦しいとかつらいと感じることはないし、言いたいことを伝えられず苦労することは今はないですね」との言葉と、アメリカ合衆国での「乗り合わせたバスが停留所に停車、車いすの人が乗ろうとしたものの、昇降リフトが故障して動かない。バスを降ろされた乗客は、代替のバスが来るまで15分間、一切クレームを言わなかった。」とのエピソードです。

○中途半端に聞こえる私は、聞こえるけれども何を言っているか判らないもどかしさを、未だに嘆くことがあります。なかなか、私よりはズッと若い田門弁護士のような境地に達しません。田門弁護士の言葉を肝に銘じなければなりません(^^;)。

○平成26年1月11日、TBS報道特集「女児はなぜアメリカへ行ったのか?国際養子縁組を考える」の若いアメリカ人歯科医・獣医師夫婦にも感激でした。日本で引き取り手のない障害を持って生まれた女児を養子として引き取り、上の2人の養子と共に3人の子供を楽しそうに我が子として育ててて居る姿に驚嘆しました。僅か2人の自分の子を育てるのに苦労を感じて来た我が身の情けなさを恥じ入り、また、アメリカ合衆国の懐の深さ・広さの一面を感じ入りました。

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障害ある僕を産んでよかったと思ってもらいたかった…弁護士・田門さんの物語
産経新聞 1月12日(日)11時30分配信

 生まれつき耳が聞こえない弁護士、田門(たもん)浩さん(46)を初めて訪ねる人は「本当に会話が通じるのか」と思いがちだ。だが、事務所の応接室に通された途端、その不安は田門さんのにこやかな表情とともに消えてなくなる。

■コミュニケーションの達人
 東京・四谷の雑居ビルに入居する都民総合法律事務所。依頼者がさらに驚くのはあいさつを交わした後のスムーズな「会話」。テーブルの正面に座る田門さんが、わずかに口を開いて声を出し、両手を動かすと、傍らの女性通訳者がその言葉を瞬時に話し言葉に変える。普通の会話と変わらないテンポで言葉が行き交うのだ。

 「私にとって言葉とは人の力になるための道具。目の前の相手が私の話を本当に理解したかどうか。うなずいたからといって依頼人が理解したとはかぎらない。微妙な表情の動きやうなずき方といったしぐさが大事なんです」

 交通事故で受けた多大な損害、家庭や職場のトラブル…。深い悩みを抱えた聴覚障害者が全国から駆け込んでくるが、意外なことに依頼者の8割は聴覚障害者ではなく健常者だ。とことん困った末に訪ねてくるのは健常者も同じ。心の内を丁寧にくみ取りながら、胸中の悩みを深く読み込む田門さんは、手話の世界と話し言葉の世界を自在に行き来する“コミュニケーションの達人”だ。

■絵本の文字で覚えた言葉の意味
 耳が聞こえないと分かったのは1歳のとき。母親の昭子さん(70)は自分を責め、息子の将来を悲観して無理心中を考えた。

 ほかの子供と変わらないあどけない表情だが、口から言葉が出ない。3歳のとき、「パパ、ママ」と呼びたい一心で、「ああ、ああ」と声を絞り出した。

 それから40年余り。「私にとって、聞こえないのは当たり前のこと。聞こえないことを苦しいとかつらいと感じることはないし、言いたいことを伝えられず苦労することは今はないですね

 話し言葉が耳で捉えるのに対し、手話は目で捉える。手の動かし方の表現はルールがあり、体系化された一つの言語だ。その言葉を最初に与えてくれたのはほかならぬ母だった。絵本の文字で言葉の意味を教え、二人三脚で学んだ。

 弁護士になると決めたのは、小学5年のとき父親の秀一さんを病気で亡くし、学校給食の調理場で働いて女手一つで育ててくれた母を「楽にさせてあげたい」という思いからだった。並外れた努力で東京大学に進学、千葉市役所に勤務しながら8度目の挑戦で司法試験に合格。現在の仕事場は、障害のため門前払いをされ続けた末の40番目の法律事務所だ。「自分を産んでよかったと母に思ってもらいたかった」。常に挑戦し続ける意志を支える裏には、母への切なる願いがあった。

■「手話」「話し言葉」2つの世界の橋渡し
 相手の目を見つめじっくりと話す手話だが、その世界から視線を外に向けると、違和感を覚えることがある、と田門さんは言う。

 グローバル化の進展、競争社会の激化に伴い、ビジネスは常に速さが求められ、商品や人の価値は一瞬のプレゼンテーションで決められる。

 「スピード感ばかりが尊ばれる社会が、人々の本当の幸せになるのだろうか。人と人が分かり合うコミュニケーションは本来、時間がかかるものだ。一歩引いて、あえて時間をつくってゆっくりやることが必要なのではないか」

 グローバル化の中心にある米国で意外な体験をしたことがある。弁護士になった後の2003年から1年間、留学したワシントンでこんな光景に出くわした。乗り合わせたバスが停留所に停車、車いすの人が乗ろうとしたものの、昇降リフトが故障して動かない。バスを降ろされた乗客は、代替のバスが来るまで15分間、一切クレームを言わなかった。厳しい競争社会と思い込んでいた米国人には心のゆとりがあった。

 日本でこのまま競争社会が激化すれば、話し言葉と手話の世界の間に誤解が広がりかねない。そのときに、言葉の真意をもう一度見つめるためには、心のゆとりを取り戻すことが大切だ。私たちはそのことを忘れていないだろうか。

 「手話も話し言葉も、人を強くする力があれば、人を傷つけることもあるのは同じ。お互いが分かり合える社会づくりに生涯をかけて貢献したい」

 これからも2つの言葉の世界の橋渡し役を背負っていく。

■全国に9人の仲間
 田門さんは中学2年生のとき、聴覚障害者が司法試験に合格したことを新聞で知った。「弁護士になって社会的に弱い立場の人々の助けになりたい」としたためた手紙を送ると、便箋3枚に激励の言葉がつづられていた返事が届いた。

 「一生懸命勉強すれば必ず弁護士の道を開くことができる」

 手紙の主は先輩弁護士の山田裕明さん(64)。田門さんの熱意に共感し、私の後に続いてほしいとの気持ちで返事を書いたという。

 通訳がいなかった高校ではノートに黒板の内容をぎっしり書き込み、教師に筆談を持ちかけて授業の理解に努めた。そして東京大学進学、司法試験合格…。努力が実るたびに山田さんの言葉が胸に染みた。

 現在、聴覚障害者の弁護士は全国に9人いる。その仲間の間で、田門さんはすでにベテランの立場になった。「障害があってもなくても、人間には本来、何でもできる力がある」。後輩弁護士が困難に直面したときには、山田さんから受け継いだ言葉を伝えている。(岡嶋大城)

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