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心をつなぐニュースから”日本の父母に会いたいなあ”

平成23年 8月20日(土):初稿
○東日本大震災で被災し、経営していた水産加工会社と自宅を流失した郷里気仙沼の同年生Aさんから、池上彰氏編集文藝春秋社発行書籍「東日本大震災 心をつなぐニュース」を贈呈されました。この書籍の全収益は、東日本大震災義援金として寄附されるとのことですが、内容紹介は以下の通りです。
住民30人をダンプカーで運んで救助した土建業者、定年まで1カ月を残して殉職した警察官、避難所で壁新聞をつくって住民を励ます中学生。東日本大震災では、絶望的な被災ニュースの一方で、心温まる感動的なエピソードがたくさんありました。そんな心と心をつなぐニュースを東北の各県紙から集めました。
○同級生Aさんの記事を紹介します。

「日本の父母に会いたいなあ」
帰国のインドネシア研修生気仙沼からの手紙に涙
秋田魁新報平成23年4月5日付朝刊(共同)

 宮城県気仙沼市の水産加工会社の社長夫婦がかわいがっていたインドネシアの女性研修生6人が東日本大震災で急きょ帰国を強いられた。別れを惜しむ時間もなく、用意していた手紙も渡せなかった夫婦は、いまも避難所で暮らす。賑やかな暮らしは断ち切られたが、絆は切れない。その手紙を母国で読んだ研修生は「日本のお父さん、お母さんに会いたいなあ」と涙を見せた。

 平成21年8月から研修生を受入始めた福寿水産。インドネシア人の女子大生6人は特産品のフカヒレ加工を担当。みな明るく頑張り屋で臼井弘社長(59)、妻の美智子さん(56)らは我が娘のように接していた。

 あの日。直ぐに高台に避難し津波からは逃れた。しかし加工場は柱だけ残して全壊。荒涼としたがれきの海に彼女たちも声を上げて泣いた。横転した船や壊れた石油タンクから流れた油に火が付き、辺りは火の海に。一晩中、街は燃え続けた。

 臼井社長は、膝を抱えて座ったすし詰めの避難所の夜を振り返る。彼女たちはふだんと変わらぬ明るさ。日本語でつぶやいた。「社長のいびき初めて聞きました」。場がなごんだ。

 地震から5日後、ほかの水産加工会社の研修生も含めた約計30人のインドネシア人女性を在日大使館員が迎えに来た。「出発は早朝」と聞かされていたが、バスは夜に出発。別れを惜しむ間もなかった。

 「最後に何もしてやれなかった。いい思い出を持たせて国に帰してやりたかったのに。」美智子さんが握りしめた手の中には、渡せなかった1通の手紙があった。

 緑深い田園に椰子の木々が立ち並ぶインドネシア。ジャワ島スマラン県スクロ村。帰国している研修生の一人、ジョフィヤさん(21)の実家を記者が訪れ、手紙のコピーを渡した。

「日本のお母さんです。どんなに遠く離れていても、あなたがすてきなかわいい女性になり、おかあさんになり、おばあちゃんになって、みんなに愛されて、みんなを愛することができる人生になることを心から祈っています…」

 ゆっくりと文字を追うジョフィヤさん。みるみる大きな涙が浮かんだ。

 みんな優しかった。言葉が分からない自分たちに何度も何度も説明してくれたお母さん。一度だけ寝坊したときも怒らず、笑って許してくれた。ジョフィヤさんの口から1年半を過ごした「第二の故郷」の暖かい思い出が次々にあふれてきた。

 握り締めた手紙にはこうも書かれていた「生きるということ、それが喜びです。6人ともかわいいかわいい私の娘 さようなら お元気で」

 「日本のお父さん、お母さんに会いたいなあ」とショフィヤさん。いつかすてきな女性になって、復興を遂げた気仙沼を再び訪れるつもりだ。
以上:1,438文字

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