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渡邊大司先生の思い出-仙台弁護士会の田中角栄氏と実感

平成28年 4月24日(日):初稿
○平成28年4月23日、仙台ガーデンパレスで、「渡邊大司先生を忍ぶ会」が開催されました。先生は大正4年5月9日生まれで平成27年5月9日100歳となられ、同年11月30日逝去されました。渡邊大司先生を、毀誉褒貶激しい功罪半ばする政治家「田中角栄」氏と比較するとは何事かと叱る方も居るかと思います。しかし、私にとっては大ファンである田中角栄氏の「功」の部分だけを集めた方が、渡邊大司先生だったと、忍ぶ会に参加して実感しました。

○それは、人間洞察力に優れた正に「情の人」と言う部分と、大変な勉強家で「努力の人」であったと言う点です。
郷里気仙沼の方々の世話を受けてきた我が弁護士稼業」に、「この気仙沼のアパートの電話番号を気仙沼連絡所として表示したこともあり、時の弁護士会会長から口頭で第2事務所と誤解されるのでそのような表示は止めるようにと注意されました。」、「その後、まもなく、当時の仙台弁護士会の長老大先輩から呼び出されて、小松君の気仙沼のアパートが色々と問題になっているので速やかに撤退した方が君のためだとアドバイスを受け、これは懲戒問題になる予告と理解し、速やかにその大先輩のアドバイスに従ってアパートを引き払いました。」と記載していました。

○渡邊大司先生を「情の人」と実感したのは、「その大先輩からはその後気仙沼関連の事件を紹介され、その事件での縁を得た方には長く仕事を紹介頂きいまだにお世話になっています。」と記載した点です。大司先生は、第二事務所問題になるようなアパートを借りる私を、これは危なっかしいと弁護士だと思われ、気仙沼での仕事がなくなると、また、おかしなことをするのではと心配し、お客様を紹介して頂いたと確信しています。

○大司先生からご紹介を受けたお客様は、いずれも企業や地域で実務の中心に居た立派な方々で、事件を引き受けた後も、そのお客様方から、さらに色々な事件を継続的に紹介して頂きました。渡邊大司先生から頂いた輪が大きく広がっていき、私の弁護士稼業には大いに助けられました。

○弁護士業界では、中学・高校・大学・研究室等の同窓、司法修習生、勤務弁護士、勤務弁護士の司法修習生等何らかの縁があると特別な仲間意識を持って、お客様や事件を紹介しあいます。私は、その意味では、渡邊大司先生とは何の縁もありませんでした。その何の縁もない私に、危なっかしいことをして注意して頂いた縁だけで、情けをかけて頂いたことに大感激でした。

○「忍ぶ会」では、「追悼文集-大司先生の思い出」が配布され、一気に読みましたが、渡邊大司先生は、第2期司法修習生で昭和25年4月から仙台弁護士会で弁護士活動に入り、弁護士会活動においても政界の田中角栄氏と同様に様々な提案をされて実現し、いまの弁護士会の様々な制度実現に指導的役割を果たされてきたことが、また、私だけでなく実に多くの弁護士各位が渡邊大司先生の情を受けており、仙台弁護士会全体に目配りをされていたことが良く判ります。

○渡邊大司先生は、その偉大さが強調されますが、それだけでなく、「ユーモアの人」でした。カラオケのなかった時代の弁護士会忘年会で、歌の苦手な方が、順番が回ってきて必死に歌い、自分では無難に歌ったつもりのところ、「近くに座っておられた大司先生が『お前は下手すぎる。俺と○○君は歌わないことになっているからあんたも仲間になれ』と有り難いお言葉を頂戴いたしました。」と記述しているのに大笑いしました。大司先生が言うとこのようなキツいお言葉も大爆笑になる雰囲気がありました。幸い私は大司先生の前で歌ったことがありませんが、もし歌っていたら確実に「お前も仲間になれ」といわれたのになあと、残念に思っています(^^;)。
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