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無用だった長崎原爆投下-byボリス・スランビンスキー

平成19年 8月 4日(土):初稿
○このHPでは政治問題には論及しない方針ですが、先日の久間前防衛大臣の長崎原爆「しょうがない」発言には唖然としました。大臣の失言としては超弩級であり、この失言に比べれば麻生大臣の「アルツハイマー患者」発言なんて小さなものです。普通の政治家の発言としても大問題であるところ、よりによって国を守るべき防衛省トップの防衛大臣の発言であり、しかも参議院選挙目前の発言であるのに安倍首相が即刻首を切らなかったため国民の間に首相への絶望感が広がったものと思われます。

○私は、広島・長崎への原爆投下は悪質極まる戦争犯罪であり、真偽の程の不明な南京大虐殺なんぞより遙かに重大かつ明白な大虐殺と確信しています。然るにアメリカのしたたかというか凄いところは、日本国の責任の如く日本国民を洗脳し日本国民をして「過ちは二度と繰り返しません」と言わしめているところです。私も中学生までは原爆投下の責任は日本国にあると思っていました。

○しかし高校、特に大学で日本政治史等を学んでいる内に太平洋戦争についても色々な考え方があることに接し、真珠湾攻撃についても日本の奇襲ではなく、アメリカ側の誘い出しに乗せられたとの説まであることを知りました。何れが真実か判りませんが、いずれにしても史上最大の戦争犯罪とも言える広島・長崎大虐殺をアメリカ側の悪ではなく日本側の悪に置き換えてしまうアメリカの凄さには、日本など到底敵わない知略大国であると素直に感服しています。

○10年数年前の社会党村山首相の時代に、日ソ戦研究家で極東の国際問題に詳しいボリス・スランビンスキー氏が共同モスクワ支局を通し河北新報社に投稿した論文が心に残っており、ネットではどこでも紹介されていないので、このHPで紹介します。

無用だった長崎原爆投下  ボリス・スランビンスキー

 広島への原爆投下から2日後の昭和20年8月8日、ソ連は対日参戦に踏切った。翌9日、米国は長崎に原爆を投下したが、戦争終結に必要な軍事行為であったのか、市民への無差別虐殺であったのか。日ソ戦研究家で極東の国際問題に詳しいボリス・スランビンスキー氏が共同モスクワ支局を通し本社に寄稿した。

ソ連参戦で日本は降伏状況知りつつ決行-政治的動機優先した米

 太平洋戦争で日本の敗色が濃厚となった1945年7月、ポツダム会談出席のためナチスドイツ降伏直後のドイツに着いたトルーマン米大統領は、16日夜になって届いた極秘電報を見て会心の笑みを浮かべた。電報は同日行った人類史上最初の核実験の成果について「予想以上の満足」を告げていたからだ。

 ポツダム会談中、あらゆる問題でスターリンの抵抗に遭ったトルーマンが、多くのテーマの決着を先延ばしにしたのは、まさにこの核実験の成功によるところが大きい。原爆を使用すれば、対日戦をソ連の参戦抜きでも決着できる、と踏んだのだ。既に米ソ冷戦の兆しは明らかであり、戦後のアジア、日本への影響力を確保するためにも、「ソ連抜き」は米国にとって好ましい選択だったと言える。

 その時ソ連は、後に世界を驚かせた情報活動により、既に米国の原爆開発を知り、自らもこの大量殺りく兵器の開発に躍起となっていた。
 こうした互いの事情を隠してポツダムで展開された米ソ指導者間の心理戦は興味深い。トルーマンがスターリンに近づき「例を見ない威力」を持った兵器の存在を示唆すると、スターリンも、それは結構、とばかり軽く受け流したというのだ。

 12巻の大著「第二次大戦史」を残したソ連の歴史家たちは「原爆開発が成功して初めて米英政府は、ソ連の参戦なしに日本との戦争を終わらせる考えに傾いた」と記している。スチムソン米陸軍長官も7月22日の日記に「ロシアはもう必要ない」と書いた。

 しかし、米国指導部は、ソ連参戦にあからさまに反対することはしなかった。原爆が本当に日本をすぐに降伏に導くかはまだはっきりしなかったからだ。そこで、トルーマンが考え付いたのは、ソ連と蒋介石政権が当時進めていたソ連参戦の条件づくりに関する交渉を長引かせ、ソ連参戦を遅らせる戦術だった。

 蒋介石政権に交渉遅延の圧力をかけ続けたトルーマンは、原爆投下のめどがついた7月23日、グルー国務長官との連名で、蒋介石に対して「ロシア人に、もはやいかなる妥協も不要」との電報を打つ。

 一方、スターリンはポツダム会談の結果、米国がソ連抜きの戦争終結を狙っているとの疑念をさらに深め、参戦準備を急ぐごとになる。
 モスクワ時間8月8日午後5時(日本時間同11時)、モロトフ・ソ連外相は佐藤尚武駐ソ連大使を呼び、1時間後(日本時間9日午前零時)をもっての参戦を通告、続いてハリマン米国大使も呼び「ソ連軍は既に満州国境を越えた」と述べ対日参戦を告げた。

 ここで最も重要となるのは、米国が既にポツダム会談の前に、ソ連参戦が日本の降伏を決定づけるとの判断を固めていた事実だ。日本の暗号解読に成功していた米国は、東京とモスクワの佐藤大使の間を飛び交う電報の内容から、ソ連が参戦すれば万事休す、と日本が考えていたことを十分に知っていた。

 ソ連参戦の時刻は、ワシントン時間8日午前9時だった。これにより、日本の降伏が決定的となったことはトルーマン大統領も即座に理解したはずである。ソ連参戦から、長崎原爆を搭載したB29ボックスカーがテニアン基地を離陸するまで2時間49分、長崎原爆投下時刻まで11時間2分。投下中止を決める時間と理由は十分にあった。

 「戦争終結のため」という観点から見れば、長崎原爆による多大な犠牲はまさに無用の犠牲だった。2発目の原爆は、軍事的理由からではなく、戦後ソ連を押え込むための政治的な動機によって投下されたと言える。
 村山首相は終戦50周年を迎え、「友人」であるクリントン米大統領に、長崎原爆投下の理由について「なぜ」と尋ねる権利を持っている。それは、罪のない市民を残虐な兵器で失った日本国民の権利でもあろう。(ロシア科学アカデミー会員)

ボリス・スランビンスキー氏
 1935年生まれ。ソ連科学アカデミー極東学術センター勤務、「現代科学と現代」誌副編集長などを歴任。極東の国際関係史、日ソ戦研究を専攻。著書に日、米、ロシアで同時出版された「千島占領 1945年夏」など。
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