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家庭学校論

平成12年 9月 1日:初稿 平成17年 2月 6日:更新

家庭の意義・役割について考える



 男女特集、一旦終了させて親子特集に入りますと予告しておりました。しかし、その後、皆様から残念、もっとやって欲しいとの声を頂いたこともあり、私としてもその重要性を認識し、更に色々考え、男女特集を継続し、第6回目といたします。相当の独断・偏見をご披露申し上げましたので、皆様の忌憚のないご意見・ご批判等頂ければ幸いです。


家庭学校論の展開

■初めに
 私は、自分自身10数年前に離婚を経験し、更に業務として何百組もの破綻夫婦を見続けてきましたが、最近、家庭とは学校であるとの認識を強めております。家庭は学校であるとの認識を持って、夫、妻、子供と向き合えば、少しは崩壊を抑止できるのではないかとの思いから、依頼者の方やこれから結婚する知人等に家庭学校論をぶつようになりました。以下、私なりの家庭学校論をご披露致します。

■家庭は安らぎの場か?
 一般に家庭は安らぎの場であると言われております。結婚する人は、家庭を持つことにより、これで安らぎの場が得られると期待します。  しかし、これは甘い。私から言わせると家庭は、当初からは、安らぎの場ではありません。安らぎの場とは、家庭で学び、好成績をとった「結果」にすぎません。しかもその結果は、いつまでも長続きする保証は全くありません。いったん確保した安らぎの場も、一寸した油断で、いつでも波乱と不安の場と化する危険性を内包しています。

■結婚当初の安らぎは仮想
 確かに一般的には、結婚当初は、恋愛による「のぼせ」の余波で、家庭に安らぎの場的雰囲気はあります。あばたもえくぼの時代です。しかし、この「のぼせ」の時代は長くは続きません。相手のことを考えると胸が「キュン」と締め付けられるような「胸キュン」状態は、離れているから続くのであり、いつでも一緒にそばにいて、いつでも肌をよせることが出来る結婚により急速に冷めるのが必定です。
 冷めてから、本当の勝負が始まります。

■家庭の学校としての基本構造
 私は、家庭は最も基本的な人生の学校であり、家庭の一員はそれぞれ教師であり、生徒であり、教材であると考えています。四六時中、時に素っ裸で絡み合い、お互いに相手の顔色を伺い、相手と良好な人間関係を構築するための技術を学び訓練する場が家庭です。家庭におけるこれらの訓練は、仕事場とか義務教育の小中学校、高校大学等では、到底、代替出来ません。学校や職場では家庭ほど至近距離で人間を観察することは出来ません。家庭という学校で学ぶ対象は、人間そのものであり、構成員たる夫、妻、子供それぞれが教師、生徒、教材を兼ねます。

■家庭学校未入学者は半人前?
 日本においては、結婚しない人が半人前と見なされます。独身の方には恐縮ですが、私は、この考えは一理あると思います。家庭を持たない場合、この学校に入れず人間としての基本的訓練がなされないからです。人間である以上は、殆どの人は家庭で育ちますが、学校として重要なのは夫、妻としての教師、生徒、教材の役割です。大分昔の話ですが、某自民党議員が、酒席で某社会党女性委員長をして独身を理由にマイナス評価をしたことが問題になったことがありますが、その議員の発言は一面真理であると感じた方が多かったはずです。勿論、これはあくまで一般論です。結婚しても半人前、独身でも一人前の方が世の中には大勢います。

■離婚とは学校からの退学
 離婚はこの貴重な学校からの退学を意味します。私は、男女を問わずこの貴重な学校からの退学は慎重に考えるべきと思っており、最近は離婚相談に訪れた方には、必ず家庭学校論をぶち、この話を聞いて少しは迷うような人は、もう少し学校で勉強してから退学しても決して損はしないと説明します。  又、離婚を請求された人は学校での学習・訓練が足りないからであり、もっと学校との認識を強く持って学習・訓練に努力されたいと説明します。  このような家庭学校論をぶっても、相手の箸の上げ下げまで嫌になり、相手のそばによると虫ずが走り、或いは鳥肌が立つようになった人には全く効果がありません。こうなったら離婚やむなしと判断します。

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