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石原結實医師著”もしガンになったら、でもならないために”紹介3

令和 3年 1月27日(水):初稿
○「石原結實医師著”もしガンになったら、でもならないために”紹介2」を続けます。
最後の第7章「病院とどうつき合うか-いい医者、悪い医者の見分け方」を紹介します。石原結實医師は、お医者さんですが「病院や医者の活用は急性の病気のときだけでいい」と小見出しで、「病院や医者とのつき合い方としては、基本的には、安易に医者にかからない、病院には行かないことです。」と始まります。

○信頼できる医者かどうかの判断は、検査に頼らず、患者からよく話しを聞いて、「問診・聴診・打診」をきちんとやること、専門用語を使わず患者が納得出来るまで説明し、薬や検査は最小限にやるかどうかと説明され、如何に少ない投薬で、如何に少ない検査で治療効果を上げる医者がよいとされています。

○そして、残念ながら現在は、そういう医者が少なくなり、患者を見ずに検査結果を表すコンピューター画面ばかり見て、基準に応じて薬を処方するだけという医者が多くなっていると嘆いています。さらに「薬は基本的に飲まない」との小見出しで、「医者は高血圧患者に、降圧剤は1回飲み始めたら、飲み続けなければいけないと言いますが、それはとんでもないことです。」と断言されています。薬は基本的には急場をしのいだら止めて、生活習慣を見直し病気を治すことが大切といいます。

○最後に「大切なのは健康寿命」との小見出しで、平成24年には100歳以上の日本人数が5万人を超えているが、半数以上が寝た切りとのことで、健康でなければ長生きの意味が無く、健康な生活を続けるためには、いつまでも仕事を続けるべきで、定年等で仕事が無くなったら、趣味でもなんでもいいので、考えることと動くことの両方を継続すべきとされています。

○以下のデイリー牧師ノートのお医者さんと全く同じことを言っています。70歳でいったん仕事を辞めたら、「それからの日々は、気楽だった。時間がいくらでもあった。初めは、その時間を楽しんでいたが、徐々に心に虚しさが忍び寄ってきた。生きていることが意味なくなってきた。」と感じて、仕事を再開した話しです。

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デイリー牧師ノート抜粋-コロナ禍はいい勉強のチャンス

忙しく、ばたばたやっていると、生きがいを感じるのだ。じっとして、気楽な生活をしていると、次第に空しくなる。70才を定年にして、若い牧師に教会をゆだねて、自ら牧師を辞任して、引退した3か月がそうだった。その時、今から12年ほど前だが、息子に上田医院を譲って、開業医も引退した。牧師も開業医も譲って、70歳で引退した。それからの日々は、気楽だった。時間がいくらでもあった。初めは、その時間を楽しんでいたが、徐々に心に虚しさが忍び寄ってきた。生きていることが意味なくなってきた。うつ病の兆しだ。

早まったと思ったが、もうあとに引き返せない。自分の頭で、70を定年に、計画してやってきたが、牧師も医師も神からの使命だった。だから、辞めたら虚しさに苦しんだ。まだ使命は終わっていないことに、辞めて気が付いた。

そのような時に、高齢者施設から管理医師になってくれないかとの依頼を受けた。喜んで受諾し、70才の4月から勤務し始めた。今は、81才。その7年後に、上田医院をやっていた息子が舌癌で亡くなり、ぼくは上田医院を再び、やることになった。老人ホームの方は、午後にしていただいて、今は医院と両方をやっている。

また2年後から、すなわち72歳から、滋賀県に畑を買って、作るようになった。その後、マキノに小さな教会を建てて、日曜はマキノで礼拝を持つようになった。今は、マキノは他の牧師に任せ、ぼくは新旭で教会をやっている。滋賀県の2か所に教会を設立できた。神のあわれみである。

今は新型コロナ感染症の蔓延で、礼拝も休止しているが、ここが忍耐のしどころである。必ず、コロナが過ぎて、コロナを過去のこととして、振り返る日が来る。必ず来る。忍耐だ。以前、東京の地下鉄サリン事件があった。あの年も、教会には受難の年だった。誰も新しい人が教会に来なかった1年だった。教会や宗教が世間から、危険視され、警戒された。厳しい目で、冷たい目で見られた。ひどい言葉が飛んできた。冷たい報道がしばしばあった。

そういう所も通ってきた。そういう事も必ず終わりがくるのだ。人類は馬鹿ではない。日本人は馬鹿ではない。一時は現象に翻弄されても、正しい道へ戻って来る。落ち着いた社会が戻って来る。落ち着いて、粘り強く、待たねばならない。戦争の頃、終戦後の頃を思い出す。じっと耐え、何とか生き延びて来た。それらの経験を思い出そう。大阪も東京もアメリカのB29爆撃機に焼け野原にされて、家族を殺され、すべてを失った。でもしぶとく必死で生きて来た。

コロナ禍では、建物もあるし、収入もある。収入は減って、ぼろもうけはない。でも、飯を食うだけはある。戦争中や戦後に比べたら、何でもない。今の若者は戦争も戦後も知らない。平和な時代に生まれ育ったから、おろおろしている。首相も大臣も大部分の国会議員も戦後生まれである。戦争も戦後も知らない。

戦中戦後に生まれ育ったぼくとしては、こういう経験は貴重と思う。人を慎重にさせる。会社の経営者も不況に強い体質の企業に育てねばならない。儲かったからと言って、すぐ全国展開して、不況で全部倒産というのでは、空しい。企業展開も、慎重に、余力を持ってやるべきだ。国に助けてもらわないとやっていけないような企業では、ダメだ。

コロナ禍は、政界にも経済界にもいい勉強のチャンスだ。宗教界にもそうだ。そう思って、強く生きよう。大丈夫。

以上:2,323文字

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