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将監耳鼻咽喉科院忘年会感想

平成16年12月28日(火):初稿 平成17年 5月15日(日):更新
○私は、健康の生い立ち概観(未完成)に記載したとおり、昭和26年8月、8ヶ月の未熟児として出生し、そのためか生来虚弱体質の多病で、色々な病気を経験してきました。

○最も大きい病気が耳の病気で3,4歳頃、右耳中耳炎となり鼓膜の3分の2近くが穴となって慢性化膿性中耳炎となりました。小学生になると更に左耳も滲出性中耳炎(中耳カタル)となり、風邪を引くと炎症が悪化し、高校生までは耳鼻科通いが年中行事でした。中学生の頃は年の半分位は耳鼻科に通っていました。

○大学時代は小康を保っていましたが、昭和50年大学4年次終了の春右耳慢性化膿性中耳炎が再発悪化して、ひどいときは耳垂れで枕がビショビショになります。翌昭和51年も司法試験択一試験直前の3,4月に悪化し、5月の択一試験不合格確認後、東北大学医学部付属病院耳鼻科で診察を受け、直ちに手術を勧められ、同年7月、当時の東北労災病院耳鼻科部長湯浅涼医師の鼓室形成手術を受けました。

○湯浅涼医師の手術で右耳慢性化膿性中耳炎は完治し炎症は二度と起こらなくなり、翌昭和52年10月ようやく宿願の司法試験に合格でき、昭和52年以来20数年に渡り、毎年最低年に1回は湯浅涼医師のアフタケアを受けています。

○湯浅先生はその後、生体組織接着剤「フィブリンのり」で移植用の膜を鼓膜に接着する方法を考案し、それまで2~3週間必要だった中耳炎手術を日帰りで可能にし、中耳炎手術の世界的権威として日本国中のみならず世界の中耳炎に悩む人々を救済されています。

○私自身も幼児時代慢性中耳炎を発病し鼓膜に穴があいた状態となりましたが、当時、慢性中耳炎の手術は大きな難しい手術とされ地元気仙沼の耳鼻科医師は手術をしてくれず、度々炎症を起こしては長い間苦しみました。

○しかし、昭和51年湯浅先生の手術を受けて以来、炎症はピタリと止まりました。加齢に伴う難聴は進行して来ましたが、湯浅先生には難聴の進行以上に優れた補聴器が開発されるから心配はないと励まされ実際補聴器使用で現在も弁護士業務を続けております。

○私にとって湯浅先生は大恩人の一人ですが、昨夜、平成5年開業された将監耳鼻咽喉科/仙台・中耳サージセンター30数名のスタッフの忘年会にお招き頂き、湯浅先生のスタッフ各位への気配り・サービス精神に驚きました。

○医師も弁護士も基本的にはサービス業です。顧客満足が最も重要であり、湯浅先生の旺盛なサービス精神、顧客満足の姿勢が優れた手術法の開発等を生み出していると確信しました。
私自身も湯浅先生を見習い、クライアント各位のみならず支えてくれるスタッフに対するサービス強化に一層努めなければと痛感した次第です。

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