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人生全ての事象に意味がある

平成21年 2月 5日(木):初稿
「生い立ち概観(未完成)」に記載したとおり、私は妊娠中の母親が当時心臓が弱かったと言うことで、8ヶ月の未熟児で誕生し、生まれたときは仮死状態で鳴き声もなかったと聞かされていましたが、何とか助かり,今日まで生きています。しかし、その生い立ちのせいか、幼児時代から虚弱体質で、しょっちゅう病気ばかりしており、病気のうち一番重いものが両耳の慢性中耳炎で高校生までは耳鼻科通いが年中行事となり、50歳の時、難聴で身体障害6級に認定されました。

○そんな訳で聴力が普通の人の4分の1位しかない身体障害者の端くれで補聴器がないと他人とのコミュニケーションができません。そのため仕事上,特に法廷での証人尋問の時などは、大変神経を使い、終わるとグッタリとなり、時に普通に耳が聞こえたらどんなに楽だろうかと夢想することもあります。

○また私生活上では、最初の結婚で、私の追いすがる懇請を振り切って女房に逃げられ、長女と離ればなれに暮らさなければならなくなり、数年間は離れた長女を思いメソメソ泣き暮らした時期もありました。こんなとき真面目に勉強し,一生懸命仕事に取り組み,懸命に生きてきたのどうして俺はこんなに苦労しなければならないのかと,神を恨んだ時期もありました。

○しかし、ある時期から、自分が苦しいと思う状況は,神様が与えてくれた試練だと思うようになりました。どんなに不幸の連続が重なろうと、それが重なれば重なるほど、神様に試されているのだと思うようになったら少しずつですが視野が開けてきて、それまで気付かなかったことにも以前よりは多少気付くようになりました。

○私の経験してきた不幸などこの世の中で起きている色々な事象からすれば大したことではありません。私なんかより遙かに大きな不幸、不運に耐えて懸命に生きている方が山のようにおり、私なんぞはまだまだ経験も勉強も不足する未熟者で,死ぬまで努力を続けなければなりません。以下の,記事を見てそれを痛感し,涙が出てきました。

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2009年2月5日1時36分アサヒ・コム配信記事より

「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」

重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。

 長男Cさんに対する殺人と、妻Bさんに対する承諾殺人の罪に問われたのは、埼玉県川越市のA被告。A被告は公判で「体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に『3人で死のう』と言われ、決意した」と語った。

 検察側の冒頭陳述やA被告によると、長男の症状は重く、知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われたといい、夫婦は「子どもに罪はない。20年を大切にしてあげよう」と誓った。

 食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、介護は過酷だった。自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。

 妻が頭痛やぜんそくなどの体調不良を訴えたのは約2年前。40年勤めた会社を定年退職したA被告も介護を手伝った。だが妻の体調はますます悪化し、「3人で逝こう」と心中を望むようになった。

 08年8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。9月9日夜には「遺書を書いた」とA被告に伝えた。その言葉に、説得を続けていた被告の心も折れた。

 翌10日午前1時ごろ、A被告は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。

 「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そう公判で訴えたA被告は判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去った。(津阪直樹)
以上:1,714文字

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