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東日本大震災後の大津波-想定外とは言えないか?

平成23年 4月29日(金):初稿
○平成23年3月11日発生東日本大震災とその後のとてつもない津波について,私は、「誰も予想できなかった」と繰り返し記載してきましたが、色々、調べると、どうやら、「誰も予想できなかった」とは、言い切れないようです。先日一緒に気仙沼に同行して頂いた友人Sさんの「最近読んだ本・・・三陸海岸大津波」、「同-その2」で紹介された文春文庫版吉村昭著「三陸海岸大津波」感想文や以下の産経ニュース記事によると、『想定外の天災』などという言葉は、軽々しく使えなくなります。
以下、私の備忘録です。

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『三陸海岸大津波』吉村昭著
2011.4.9 07:56 (1/2ページ)

 ■惨状にリアリズムで迫った書、注文が殺到

 日本に津波が来る限り、読み継がれていく本だろう。

 歴史小説の大家、吉村昭(1927~2006年)の比較的初期の作品だ。この本を読んだ後では、「想定外の天災」などという言葉は、軽々しく使えなくなる。

 原題は『海の壁』。昭和45年、中公新書で刊行された。明治29年、昭和8年、昭和35年の3度にわたり東北の沿岸部を襲った大津波についての記録文学だ。

 版元の文芸春秋によると、平成16年の文庫化から先月までの累計発行部数は約4万9千部。東日本大震災を受けて注文が殺到し、今月1日、5万部を重版した。

 数多くの歴史小説を物し、司馬遼太郎と双璧をなすとも評される吉村だが、作風は大きく異なる。小説の中に自らの講釈をさしはさむことを極力控え、フィクションを交えることに禁欲的なのだ。

 一読して打たれるのは、事実への執念だ。当時の公文書や新聞を調べるだけでなく、海沿いの町村を歩き、古老を訪ね回った。吉村流の徹底的なリアリズムは、津波の惨禍を描き出して容赦がない。

遺体収容の実際や、被災地で窃盗が横行したことまでも、余すことなく記す。津波の前の豊漁や沖合での轟音(ごうおん)、海上の発光などの“前兆現象”の証言も丹念に拾い集めているが、そうした過去の経験にとらわれて逃げ遅れた人々が多くいたことも併せて記録する。

 多くの犠牲で高まった防災意識が、やがて日常のうちに風化していくことにも筆は及ぶ。16年、文春文庫化にあたってのあとがきでは、すでに現地でも過去の大津波を忘れつつある様子が記されている。吉村が生きていれば、今回の震災で何を思っただろうか。あとがきは、こう結ばれている。「今も三陸海岸を旅すると、所々に見える防潮堤とともに、多くの死者の声がきこえるような気がする」(文春文庫・460円) 


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巨大津波を予測していた男-活断層・地震研究センターの宍倉博士
ウォール・ストリート・ジャーナル 4月11日(月)11時49分配信

 日本の太平洋岸を襲った巨大津波はほとんどすべての人々を驚かせた。しかし宍倉正展氏(41)はそれを予測していた。巨大津波到来を知って「やっぱり」と思った、と宍倉氏は言う。

 「想像していた通りの現象が起きた」と言う宍倉氏は、日本のカサンドラ(ギリシャ神話の予言者、信じられない凶事の予言者)になった。 

 宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県や宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。

 大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。 

 そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所・活断層・地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。 

 宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。活断層・地震研究センターでは、どの地域が津波リスクがあるかを人々に理解させるため地図を配布する計画が立案されていた。3月23日には、福島県の当局者を前に研究成果を説明する予定だった。

 宍倉氏の上司で活断層・地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。  

 3月11日の大地震の際、宍倉博士の勤務する8階のオフィスでは書棚が倒れテレビが床に落ちた。同博士は一階下の臨時のスペースに移動しており、そこでインタビューに応じてくれた。

 同博士は 「間にあわなかったのが残念だ」と述べた。しかし以前、研究のため地層を掘ろうとする同博士に手を貸すどころか、「迷惑」だと言っていた地元当局者もいたことを思い出し、自らの正しさが立証され報われたとも感じていると述べた。  

 宍倉博士の研究は、古地震学という比較的新しい学問分野だ。パイオニアであるカリフォルニア工科大学教授を経て現在シンガポール地震研究所の所長を務めているケリー・シー博士は、こうした研究に携わっている少数の研究者は通常無視される運命にあると語る。同博士によれば、人は自分自身が目撃した、あるいは自分の知っている人が目撃したものを信じるようにできている。彼らは「500年に一度の出来事に対処する」ようにはできていないのだという。 

 宍倉博士は東京郊外の丘で化石を収集するのが好きな少年だった。そして高校生の時、地学が過去に関する疑問に答えてくれると悟った。 

 同博士の方法論はかなりシンプルだ。宮城県の土壌は豊かだが、その中で砂と小石の層が挟まれている。同博士は、これは幾つかの津波によって海岸から運ばれたに違いないと言う。この地層を調べた結果、同博士の研究グループは、襲来した津波が遠く3500年前までさかのぼれると推定した。

 このような巨大津波襲来の危険を自覚していれば、比較的小さな犠牲で多くの人々の生命が救われたかもしれない。宮城県と福島県の人々は大地震には慣れていたが、こうした地震は大津波を起こさなかった。だがより北の方では、1896年や1933年の地震の際に津波が襲来したことがよく知られていた。ただ、これらの津波は、主として海岸の低地を襲うにとどまった比較的弱い津波だった。

 このため、3月11日にマグニチュード9.0の大地震が起きた際、内陸にいた一部の人々は、自分たちは安全だと考えていた。着替えをしたり電話したりして時間をつぶした人もいた。高地に逃げるのではなく、津波が到来するのを見物していた人もいた。人々のこうした行動は、宍倉博士ら研究グループが昨年、この地域の地震について論文で警告した状況そのものだった。

 それは「過去にM8を超える規模の地震で3-4キロメートルも内陸まで水が押し寄せるような大津波があったことは一般にはほとんど知られていないようだ」というものだった。 

 現在、宍倉博士の研究チームは、南方海域の南海トラフに注目している。地震とともに大津波が発生して四国と紀伊半島を襲う恐れがあるからだ。宍倉博士は、この海域では大津波がどうやら400年ないし600年に一度発生しているようで、最も最近の津波は1707年だったと指摘している。

 この大ざっぱな推定は、危険が到来するのは少なくとも100年先であることを示唆している。だが、宍倉博士は「注意したほうがいい」と警告している。

記者: Peter Landers
以上:3,191文字

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