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気中第20回生還暦祝い後1年震災復興支援感謝の集い

平成24年11月 4日(日):初稿
○平成24年11月3日は、南三陸ホテル観洋で気仙沼中学校昭和42年卒業・第20回生還暦祝い後1年・震災復興支援感謝の集いがありました。気中同年生の集まりは、「気仙沼中学校42年卒第20回生還暦祝い会出席」記載の通り平成23年2月12日以来、約1年11ヶ月ぶりです。還暦祝い後の気中同年生の集まりは確か65歳の予定でしたが、平成23年2月の還暦祝いの1ヶ月後に発生した東日本大震災による大津波で郷里気仙沼は壊滅的被害を受け、多くの同年生から大きな支援を受けたとのことでその支援に感謝する趣旨で気仙沼市在住の気中同年生の発案で開催されました。

○1年11ヶ月ぶりに集まった同年生は11クラス合計123名で、わずか5名しか参加していないクラスもありましたが、我が6組は男性7名、女性8名の15名で平均より多く集まっています。集まるメンバーの顔ぶれはほぼ決まってしまいましたが、同年生との語らいはいつになっても楽しいものです。
取り敢えず写真です。

実行委員長Aさんの支援感謝ご挨拶、流石、市会議長、気仙沼市の復興状況の細かい数字を空で説明してくれました、復興支援ブログ「気中20+PLUS」のいつも明るく楽しいBさんも神妙なご挨拶、挨拶を聞いた後、早速、クラスだけの記念撮影
   

気仙沼在住で被災当時、一景島保育所所長さんだったCさんは、71人の保育園児を連れて潮見町の公民館に逃げ込むも3階建ての2階部分まで津波が押し寄せ、周囲に火の手も迫り、屋上や3階で寒さに震えていた園児達を守るための必死の状況を、また、消防士のDさんは、大規模火災が発生し、必死に消火作業に当たる状況を、それぞれ、正に生の迫力で伝えてくれました。

当時を思い出しながら涙ながらに話す元一景島保育所所長Cさん、気仙沼消防署Dさん、はるばるフランスから支援を続けたEさん、そして今回の集いを企画・実行してくれた気仙沼在住同年生の方々
   

○今回、特筆すべきは3年6組随一の悪ガキだったFさんです。横浜で建設会社を経営しているFさんは、震災後、連絡が取れるようになってから、数ヶ月にわたって継続的に、親しい複数の同年生に電話で、何が必要かをきめ細かく問い合わせ、例えば21.5センチの小さな靴まで自分で探し歩いて調達しては気仙沼に送り続けたとのことです。

○私も「震災後初めての郷里気仙沼入り-余りの惨状にただ涙」記載の通り、「事前に必要なものを確認して、1人一点購入制限物資等をヨドバシ・ダイエー等に毎日通って買い集め更にスニーカーやレトルト食品等を加え、丸15年乗り続けているワゴン車のオメガ後部荷台と後部座席に満載して届けました。」が、これ1回きりでした。支援物資にあふれて却って処理に困っているとの情報も聞いたからです。しかし、実際は、本当に必要なものが余り届かず困っていたとのことで、そこまで事情を察して、その都度、聞き取っては、自らの足で調達して送り続けたFさんの思い遣りにに感激し、また、我が身の至らなさに深く恥じ入りました。元悪ガキFさんに脱帽です。

二次会でもサービス精神満点のFさん、二次会は2時間近く続きましたが、補聴器の耳に飛び込む大音量の苦痛に耐えながら、何とか最後まで留まり、多くの同年生に補聴器をつけた耳元に口を寄せて話して頂き、楽しく過ごすことができました。
   
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