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中島敦の山月記3-李徴の詩作品記録とその欠点

平成21年 3月16日(月):初稿
○虎となった李徴は、その生きた証に詩作品の記録を袁サンに願い出て、袁サンはこれを部下に記録させますが、その作品に作者の素質の非凡さを感じるも、作品自体に何か足りないものがあることを感じ、続けて李徴は、自分の臆病な自尊心を告白し始めます。


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 袁サンはじめ一行は、息をのんで、叢中(そうちゅう)の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。

 他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未(いま)だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇(ぺん)、固(もと)より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早(もはや)判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚(なお)記誦(きしょう)せるものが数十ある。これを我が為(ため)に伝録して戴(いただ)きたいのだ。何も、これに仍(よ)って一人前の詩人面(づら)をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯(しょうがい)それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

 袁サンは部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁サンは感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。

 旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲(あざけ)るか如(ごと)くに言った。

 羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟(がんくつ)の中に横たわって見る夢にだよ。嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁サンは昔の青年李徴の自嘲癖(じちょうへき)を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

 袁サンは又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
   我為異物蓬茅下 君巳乗気勢豪
   此夕渓山対明月 不成長嘯但成

 時に、残月、光冷(ひや)やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。李徴の声は再び続ける。

 何故(なぜ)こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依(よ)れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己(おれ)は努めて人との交(まじわり)を避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが殆(ほとん)ど羞恥心(しゅうちしん)に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論(もちろん)、曾ての郷党(きょうとう)の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云(い)わない。しかし、それは臆病(おくびょう)な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。

 かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるが故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。


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