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谷沢永一先生「歴史通-日本に”貴族”はいなかった」覚え書き

平成28年 2月21日(日):初稿
○事情があって日本史を勉強をし直す必要が生じました。日本史は小学校時代から好きな科目で、小学校4年次自主研究授業では、大きな模造紙で好きな歴史の年表を作成して発表し、また、中学2年次の日本の歴史の授業、高校3年次の日本史の授業は、熱心に聴講し、東北大学受験の際の選択科目も日本史・世界史の二科目でした。舌を噛みそうな横文字名前が並ぶ世界史は、ちと苦手意識があり、日本史の方がズッと好きになりました。

○日本史の勉強のため、通り一遍の教科書を読むのも面白くなく、先ず、先ず畏敬する谷沢永一先生著作「歴史通」に目を通し始めました。
以下、「第1章『知恵』を読めば歴史通」の中の「日本に”貴族”はいなかった」の備忘録です。

政治に力を注いだ上代貴族
どの天皇、どの貴族をとってみても、国富の半分以上も浪費できるほどの財も所有していなければ、死屍の山を築くほどの蛮行も行っていない。総じて貧弱で、小心翼々としている。


※平成26年事務所旅行で行ったカンボジアのアンコールワット寺院を観て、そのスケールの壮大さに仰天しました。アンコールワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月と数十万人の人民労働力を費やし建立されたと説明されました。

このとき感じたのは、日本にはこれほど壮大なスケールの建物は存在しないこと、日本の天皇は、これほど国富を費やして自分のための寺院を建てるなどしなかったことが、日本史を通じて今日まで連綿と続いている理由ではないかということでした。アンコール(クメール)王朝は、寺院建築で莫大な国費を費やした上、宗教をめぐる政争で次第に国力が衰え、9世紀から15世紀までで終了したとのことです。

日本の政権担当層の特徴
わが上代貴族は、同胞をトコトン搾取、収奪し、その上に豪華絢爛たる浪費生活、栄耀栄華を極めることに、誇り、満足、喜びを覚えるような人間集団ではなく、貧しいながらも国民感情として、それを許さないコンセンサスが日本列島に漲っていた。
遣唐使は、中国文化を広く、国民的規模で移入し、日本全体の文化向上を図るためのもので、その人的構成は、貴族・下級官吏・僧侶・学者・知識人等国民各層を網羅するように組み合わされ、決して一部貴族層の独占ではなかった

私利私欲より治国平安
上代貴族を初め、わが国のエリート集団は、政治・経済・文化等のあらゆる権力を独占しようとする発想はなく、国民もこれを許さなかった
貴族独占仏教もその目的は「護国鎮護」、「民族統合」、「国家安泰」で国家全体の平安を祈り、政権の維持を願うこと、
更に古代仏教の眼目は,社会福祉で、古代仏教僧は全国を行脚し、溜池を作り、橋を架け、灌漑の道を拓き、文化と福祉行政を推進した、その功績の伝説化が行基・弘法大師、
鎌倉時代の法然・親鸞は、仏教を貴族・僧侶から換骨奪胎して国民大衆次元に普及させた宗教革命

「東大寺」建立の歴史的意義
エジプトのピラミッド同様、当時の労働力需要を作り出し、全国に及ぶ物資流通網・道路網の拡充整備という景気振興対策の面がある、あくまで「治国平安」、国民の幸福と安全を祈願したもの

「収賄」の伝統がない日本
わが国上代貴族は、諸外国の貴族と体質が異なり、決して巨大な私利私欲を貪らなかった。
貴族社会の昔から、もしも贈収賄・中間搾取が公然と行われ習慣化、伝統化されていたなら、たかだか5億円贈収賄でこれほど世情が騒然となるはずがない

世界で唯一の武装せざる貴族
わが国上代貴族は、質素で小心翼々たる集団に過ぎず、和歌と加持祈祷に没頭し、和歌に秀でた者が政治的にも有能と認められ徹底した文官政治が行われた、
中国の「科挙」での作詞能力が、わが国では和歌の能力で、世界に例を見ない二十一代集という天皇勅撰の和歌集が編まれ、国民歌集として「詠み人知らず」から遊女・傀儡師に至るまであらゆる階層を網羅し、和歌の前で国民平等であった
貴族は武器を持たず、武装せざる貴族階級はわが国において他にはない、そのため武士階級の勃興で瞬く間に掃滅され、政治的経済的権力は失われ、文化的使命のみが残された
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