平成15年10月 1日(水):初稿 |
■はじめに 前回は、前夫に対する損害賠償請求を依頼して、どうしても300万円取りたかったところ、代理人弁護士である私の指導で不本意に70万円で和解し、その怨みから、私を弁護士苦情窓口に訴えた女性の話をしました。その和解は、特に母親が強く薦めたものですが、その示談を薦めた母親まで一緒に苦情窓口に来て私に対する文句を言ったということに腹を立てました。 ■その後の反省-自己防衛 その後、何故こんなことになったか自分なりに考えました。その結果、この事案は、たとえ敗訴しても裁判を出すべきであったと反省しました。当初考えた理由は自己防衛でした。相手方、母、本人、私の4名だけの示談では、その経緯を立証できない危険があります。後で何を言われても反論資料がありません。和解の席にご本人出頭しての裁判上の和解にすれば、何よりも裁判官という最強の証人を得ることが出来ます。失礼ながらその女性は、被害妄想傾向で問題のある方でした。そのような方は絶対に中途半端な形での和解は避けるべきと結論づけました。これは、単なる自己防衛の考えでした。 ■その後の反省-紛争解決の究極は人の心 しかし、我々はサービス業です。依頼者の方の満足を得るべく最大の努力をするのが最も重要です。この女性は、憎っくき前夫と徹底的に争いたかったのです。それを中途半端な示談で全く納得出来ない不本意な金額で和解したため不満が残り、和解後忽ち後悔したのです。そのため私に何度も電話を寄越し、私を恐怖のどん底に落とし、私に相手にされなくなると、あらゆる相談所という相談所を渡り歩き、不満を残した和解のためその後しばらく怨みの人生を送ったのです。この点、全く非生産的な無駄な人生で、今でも私を恨んでいるはずです。 彼女が、無駄な人生を送る羽目になった最大の理由は私が関与した不本意な和解でした。これでは顧客満足を本旨とするサービス業務失格です。私は真摯に反省を迫られました。依頼者の満足、納得を得るためには、中途半端な和解はせず、例え敗訴であっても訴えを提起すべきでした。 ■和解は決して勧めまいと決意 その後私は、あくまでご本人の納得を得ない限り和解は勧めまいと決めました。正に羮に懲りて膾を吹こうと誓ったのです。 以来、和解の場面では、依頼者に、「決めるのはご本人です。納得出来ないなら和解すべきでありません。」と繰り返しています。但し、「不本意な判決が出ても後悔しないようじっくり考えて下さい」とも付け加えます。ある先輩から、その姿勢は、依頼者の力強い指導の求めに応えないのだから、サービス業者として失格であり、客が増えないよと批判を受けました。客が増えないとの言葉にグサッと来ましたが、私は、ご本人の「納得」が一番重要と考え、この姿勢を崩していません。 本人が100取りたいところ、法律的には30しか取れない場合、50取ったからと言って、肝心の本人が納得しない場合、紛争が解決したとは言えません。法律的には、30取れるところ、20しか取らなかったとしても、それに本人が納得している場合は、紛争は解決です。 人間は、自分の頭で考え、その結果、納得に至ることが最も重要です。結局、紛争解決は、最終的には人の心が決めることであると痛感した事件でした。(以下次号に続く) 以上:1,347文字
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