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逃げられたらお終い

平成10年10月 1日(木):初稿 平成21年 1月15日(木):更新
■同居義務違反に対する制裁措置

 先の具体例でYと結婚したXには、民法752条によりYと「同居し、互いに協力し扶助しなければならない」義務を負います。
 しかし、XはYに嫌気がさして別居しました。XYが正式の夫婦である以上、Xには同居義務があり一方的に別居することは、明らかに民法752条違反です。この違反を解消するため国家は権力を持ってXを逮捕・拘束してYのもとに戻す(これを直接強制といいます)、或いはXに対して別居状態1日につき1万円をYに支払えというような形で強制すること(これを間接強制といいます)が出来るでしょうか。
 法律の決め方によっては、同居義務の実現のために直接強制又は間接強制を採用することも可能です。しかし、人権感覚の乏しかった古い時代は兎も角、人権を重視する現代国家においては同居義務を国家が直接又は間接強制する制度を採用している例はないでしょう。

■事実上は破綻主義ー夫婦関係とはお互いの腹一つで決まる脆いもの

 いくら有責主義と言っても、破綻した夫婦関係を強制的に改善する方法はありません。先の具体例で、Xが離婚の調停が不調に終わった直後に離婚の裁判を出した場合、裁判官はYの主張を認めて離婚請求を退けるでしょう。この場合、Xは離婚届出が出来ないので戸籍上夫婦関係が継続し、Yとの同居義務を負い続けます。しかし、前述のとおり離婚が認められなくても別居中のXがYとの同居を法律で強制される事はありません。
 と言う事は嫌になったら出て行けば、法律上は離婚できなくても事実上は離婚できるということです。結局、婚姻届出を出した正式の夫婦でも、どちらか一方が嫌になって出て行けばそれまです。実際、Xは結婚6ヵ月で同居を解消して事実上の離婚を実現しました。換言すれば、法律は結婚の実質継続までは保証してくれないのです。正式の夫婦であっても、実はお互いの気持の結びつきがないと実質夫婦を継続出来ない意外に脆いものなのです。

■離婚裁判は無益無意味な闘争

 先の具体例で、Yは夫婦関係とは脆いものであることを納得・自覚できず、離婚を拒否し、無益で無意味な裁判を継続しました。仮にYが勝訴しても現実には、形式上の夫婦関係が継続するだけで、Xが戻って実質夫婦関係が回復することはあり得ないのですが、Yの様な無益な離婚裁判は数多く存在します。
 私は、離婚相談においてはYの立場の人には、先ずじっくり話を聞きます。そしてXの心が離れた理由を私なりに分析・解説します。その上で細川たかしが歌う「一度離れた~、心は二度と~、戻らないのよ~、元には~~」と言う「心のこり」の歌詞を援用し、無益な裁判(抵抗)は止めた方が良いですよとアドバイスします。するとYの立場の人の多くは、理不尽に離婚を求めるXを身勝手で許せないと声高に非難します。そこで、そんなXを一体どなたがが選んだのでしょうかと質問するとたいていは言葉に詰まってしまいます。そんな身勝手なXを一生の伴侶に選んだ自分の責任にようやく思い至るのです。

■人の心は力=法律では縛れない

 民法の大家我妻榮先生は、同居義務実現のために直接又は間接の強制が認められないのは「夫婦共同生活の本質に適さないからである」と述べています。
 この意味について、私は夫婦同居はお互いの心の結びつきによって実現されるべきものであり、他からの「力」、最終的には国家権力による強制によって実現されるべきものではないからと解釈しています。
 簡単に言えば人の「心」は、「力」で縛ることは出来ないと言うことです。「力」とは、なにも強大な国家権力に限りません。個人の「暴力」、「金力」、「世間体」等全ての圧力を言います。現実には、「暴力」、「金力」、「世間体」等により同居を強制されている夫婦関係は巷に溢れています。現時点で圧倒的に多いのは、「離婚したら食えなくなる」ため専業主婦の妻が離婚をじっと我慢している例でしょう。これは「金力」による事実上の強制同居です。

■「屈服」と「心服」の違いを自覚すべし

 夫婦の争いに限らず人の争いの多くは「力」による「屈服」を「情」による「心服」と勘違いしていることから発生します。前号で述べたとおり、夫は妻が「屈服」して従っているのに、「心服」して従っていると誤解していると老後に大変な復讐を受けることになり、「明るく楽しい老後」など夢の又夢に終わります。人は一般に自分の思いどおりに物事が運ばなくなると、どうしても大声で怒鳴りつけたり、陰湿に苛めたり、お金を餌にしたり、極端な場合直接暴力を振るったり「力」による「服従」を目指します。しかしこれら「情」を伴わない「力」による「屈服」は一時的なものであり、何れ機を見て反旗を翻されるは必定です。

 尊敬する作詞家星野哲郎先生は、故村田英雄が歌う「柔道一代」の2番の歌詞で、
人は力で倒せるけれど、心は情は力じゃとれぬ
と喝破しています。弁護士稼業10年を経てこの歌詞に再会した時、優れた作詞家の人間洞察力の「凄さ」に唯々感服しました。

■終わりに

 長々と述べてきましたが、今回私が言いたかった事は唯一「人の心は力で縛ることは出来ない」ことに尽きます。しかし、人は往々にして「力」で人の「心」を縛ろうとします。突然、飛躍しますが、意外に短気で良く大声を上げる私はいつも反省を強いられています。但し、妻には結婚生活10年近くなりますが、大声を上げることは殆どありません。大声等力で従わせてもその場限りで却って後が恐いと悟ったからです。
 さて、夫婦も長くやってるとマンネリ化し、「心」の結びつきを維持することは至難の業になります。
 時に刺激を求めて、配偶者以外の異性と性関係に陥る例は、一昨年の「失楽園」ブームに見られるように世間にゴマンとあります。次回は「浮気」、「不倫」の法律関係についてじっくり私なりの解釈をご披露申し上げたいと考えています。

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