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”なぜアメリカは日本に二発の原爆をおとしたのか”感想

平成24年 8月15日(水):初稿
○「無用だった長崎原爆投下-byボリス・スランビンスキー」に「私は、広島・長崎への原爆投下は悪質極まる戦争犯罪であり、真偽の程の不明な南京大虐殺なんぞより遙かに重大かつ明白な大虐殺と確信しています。」と記載して、日ソ戦研究家で極東の国際問題に詳しいボリス・スランビンスキー氏が共同モスクワ支局を通し河北新報社に投稿した論文を紹介していました。この論文についての紹介はネット上では私のHPしかないのが残念なところです。「ボリス・スランビンスキー」でGoogle検索をしても、私のHPしか出て来ません。

○「無用だった長崎原爆投下-byボリス・スランビンスキー」では、「大学で日本政治史等を学んでいる内に太平洋戦争についても色々な考え方があることに接し、真珠湾攻撃についても日本の奇襲ではなく、アメリカ側の誘い出しに乗せられたとの説まであることを知りました。」とも記載していましたが、ネットで色々検索するとこの説は、アメリカ側の研究者の支持者も増えているようです。日高義樹氏著「なぜアメリカは日本に二発の原爆をおとしたのか」を読んで更にその思いを強くしました。

○この本は、第1章「真珠湾攻撃前からアメリカは日本への原爆投下を考えていた」との刺激的見出しに始まり、第2章は「広島・長崎への原爆投下は人体実験だった」と断定し、その広島・長崎への投下経緯を以下の様に説明しています。
・アメリカは昭和20年3月に数千人の学者を中心に20万人を導入して、20億ドルの巨費をかけて3発の原爆完成させた
・1発目はニューメキシコの砂漠で計算通り爆発するかどうかを昭和20年7月16日午前5時29分実験し、その凄まじい効果を確認出来、大成功であった。
・2発目はウラン235を使い砲撃方式で爆発させるやや小さな原爆で「リトルボーイ」と名付けられ、昭和20年8月6日午前8時15分、広島に投下された。
・3発目はプルトニウムを使った爆発型で、形がやや太めだったので「ファットマン」と名付けられ、昭和20年8月9日午前11時2分、長崎に投下された。
・広島・長崎の原爆投下で合計10万5000人が死亡し、9万4000人が負傷した。
・広島・長崎の原爆による被害状況については、あたかも実験報告のような詳細なレポートが残されている。
・当時のトルーマン大統領は、膨大な費用と労力をかけて完成させた3発の原爆の内残り2発とも使用してその効果の程を確認する必要があり、広島だけでなく長崎にも投下する必要があった。真珠湾攻撃の復讐、戦争早期終結なんて理由は、言い訳にすぎない。
・広島・長崎の投下実験の結果、広島投下「リトルボーイ」より長崎投下「ファットマン」の方が効率的と判明し、その後原爆は、プルトニウム爆発型が主流となった。


○上記記述だけでも「なぜアメリカは日本に二発の原爆をおとしたのか」の答えが明白です。歴史を振り返ると白色人種欧米人は黄色人種アジア人を虫けらの如く見ていると感じることが多々ありますが、この2発の原爆使用は正に日本人は虫けらと同様に扱われて人体実験されたと評価して良いでしょう。

○同著の中に私の疑問と同じ見解が明快に記述されていましたので紹介します。
真珠湾攻撃に対する復讐あるいは処罰という主張について私がいつも不思議に思うのは、日本の人々がなぜ、真珠湾攻撃は軍事基地に限定されていたこと、広島や長崎に対する原爆投下のように無防備な市民を殺傷したわけではないこと、をはっきり言わないのかということである。

○しかし、アメリカが凄いのは、どうみてもアメリカの長崎・広島原爆投下は重大な戦争犯罪であることは明白にも拘わらず、その後日本を占領して、その支配下に組み入れ、原爆投下は日本国の責任の如く日本国民を洗脳し、広島原爆慰霊碑に「過ちは二度と繰り返しません」とまで記載させていることです。また、戦後の日本復興のために尽力し、実際、日本はアメリカの大きな援助によって復興を成し遂げたことも事実であり、仮に日本がアメリカに勝った場合、日本は敵国に対してアメリカのような態度が取れたかと問われたら、取れると答える自信は全くありません。このように思わせるのもアメリカの凄いところです。


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