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20年ぶりに仙台近辺在住気仙沼中学・高校同年会開催予告

平成25年 1月19日(土):初稿
○平成25年1月26日(土)に仙台近辺在住気仙沼中学・高校同年会をに開催します。前回の開催は、男の厄年の42歳の時でしたからほぼ20年ぶりの開催になります。地元気仙沼では、気仙沼中学昭和42年卒業20回生として、女の厄年33歳時、男の厄年42歳時、如何なる理由か判りませんが、54歳時、そして還暦前年・還暦時、更に平成24年11月3日の「気中第20回生還暦祝い後1年震災復興支援感謝の集い」と度々同年会を開催していますが、仙台近辺の同年会を開催したのは前記42歳男の厄年の時、僅か1回切りでした。

○気仙沼中学20回同年生は昭和42年卒業時470数名で、平成25年現在物故者が40数名としても430名程度はいるはずです。その内4割程度は地元気仙沼在住とすると200名近くの同年生は気仙沼近辺に居るはずです。仙台近辺在住同年生については、20年前のデータでは70数名でした。その後の平成24年11月復興支援感謝の集いの際に整理したデータを地元気仙沼の世話役の一人だったA君から貰って確認したところ63名に減っていました。

○気仙沼高校仙台在住同窓会は、毎年のように案内状を頂きますが、出席したのはこれまで3,4回程度で10年に1回程度の割合でしか出席していません。弁護士稼業の営業のためには出席して顔を売った方がよいのですが、基本的にシャイで人前に出るのが苦手なために余り出席する気にはなりませんでした。たまに出ても知らない方が殆どで、余り面白くなかったからです。

○このように私自身は、気仙沼出身と言っても同郷者の集まりには積極的ではなかったため、東京近辺気仙沼中学20回同年生の集まりの様子を聞かされたときは驚きました。なんと数ヶ月に1回は同年会を持ち、年に1回は同年会の国内旅行会まで開催しているとのことです。その大変強い絆で結ばれた東京近辺気仙沼中学20回同年生は、東日本大震災後、速やかに郷里気仙沼で被災した同年生支援の組織気仙沼中学校20回生支援会(略称:気中20支援会)を作りました。そして広報担当B君が、「気中20+PLUS」と言うブログを立ち上げ、支援活動や気仙沼の状況を連日のように掲載しています。

○その気中20支援会に所属していた方々で定年退職となり仙台を最終居住地として仙台に引っ越してきた同年生が数名居て、仙台でも東京近辺同年生と同様同年生の集まりを持ち少しでも同年生の絆を形成して、気仙沼の被災同年生支援の輪を作っていこうと、いわば背中を押された形で、取り敢えず私が持っている仙台近辺の気仙沼中学・高校の同年生80名に声がけをして平成25年1月26日に20年ぶりの同年会開催となった次第です。

○80名に開催案内と参加申込を往復葉書で送ったのですが、30名近くが「あて所に尋ねあたりません」として戻り、届いた50名の内30名から返事があるも、出席との返事は10数名でした。地元気仙沼でいつも全体の3分1近くの同年生を集める努力は大変なものであることを実感しました。連絡先の判る同年生には更に直接声がけをして20名程度の参加者は集めたいものです。今回は都合が付かず出席できないが次回あるときは出席したいので是非連絡が欲しいとの返事、更に、丁寧な手書き礼状を添えて「震災後、やはり気仙沼のこと、同年生のこと、同級生のこと等々を思い出しては気掛かりでおります。」と支援金一封を現金書留で送付してくれた女性同年生もおり感激しました。

○気中20支援会の気仙沼現地窓口担当であった気仙沼在住A君は、平成24年12月下旬にその開催を報告すると大変喜んで、是非、自分も出席すると楽しみにしていたのですが、残念ながら「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」記載の通り、この1月14日帰らぬ人になってしまいました。

○郷里気仙沼の状況は「久しぶりに気仙沼入りして復興の道は険しく遠いと実感」記載の通りであり、行政等も懸命に取り組んではいるのでしょうが、伸展はかばかしくないと感じています。こんな状況で、僅かの同年生が集まって出来る事は、極めて限られたものでしょうが、集まってくれた皆さんで、その方法を考えていこうと思っております。
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